どうも!
かごです!
今回は、ずっと気になっていた電波塔とその近くにある富隈城跡、稲荷山公園に行ったレポートです。
そして結論から書くと、城山公園よりもマニアックな桜島を景観できる歴史ある場所でした!
国分隼人で気になっていた電波塔
小さい頃から国分隼人へ来た時に気になっていた赤と白の電波塔。
霧島市に住むようになり、ほぼ毎日見るけれど行ったことがなかったのでついに行ってみることにしました。
↑のGoogleマップでは川畑商店から行くルートですが、私は10号線からフォルクスワーゲン隼人を少し過ぎた所から左折して住宅街を通りました。
細い道を通っていくと、ついに目的の電波塔が!!
ずっと近くで見たかったソレは、NHK鹿児島放送局隼人ラジオ放送所で、NHKのラジオ第1、2放送を私たちに届けている高さ104メートルの電波塔でした!
いやー
やっと近くで見れた事に
ヒデキ感激~
(わかる人にはわかるw)
今日はカレーを食べたくなりましたw
NHK電波塔の隣に富隈城跡が
電波塔を見て車を止めていると、近くのおじちゃんが
「駐車場はこっちにあるから上ってみなー」
と、親切に教えてくれました。
すると電波塔の隣に鳥居があるじゃないですか!
キャー!
何ココー!!
上に行くと、広い駐車場がありました。
どうやらここは、富隈城跡で稲荷山公園もある場所のようです。
この鳥居には富隈稲荷神社と書いてありました。
私、神社によっては気分が悪くなるのですが、こちらの神社は綺麗に掃除され、とても心が穏やかになりました。
おそらく地元の方が大切に祭っているんでしょうね。
無人の神社だったのですが、七五三、厄払い、戌の日もやっているのかな?
ポスターが貼ってありました。
富隈城跡の説明が書いてあったので一部引用します↓
霧島市指定文化財
「富隈城跡ーとみくまじょうあと」
富隈城は、島津16代将軍義久によって築かれた城で、平地にあり、小山を本丸代わりにした平山城です。
この城は、東西約150m、南北約250mの方形で西・東・北側に堀があったといわれ、現在は北と東側に堀の跡が残っています。
城の造りは、天守閣がない館形式で、城門も茅葺であったということです。
西側、東側には野面積みという技法で積まれた石垣が残っていますが、これは肥後(熊本)の八代の種山の石工達が築いたものだと伝えられています。
義久は、文禄4年(1595年)から慶長9年(1604年)まであしかけ10年間ここに居住しました。
義久が富隈に来たのは、豊臣秀吉の島津征伐に敗れ、降伏した意思を表すため、鹿児島の城を弟義弘の息子家久に譲り、富隈に隠居の形をとったためだといわれます。
義久在城の間、朝鮮出兵、関ヶ原の戦いなどが相次ぎ島津氏にとっても苦難の時代でした。
義弘が関ヶ原の戦いで家康の本陣を突き、敵中突破してわずかな家臣と帰り着いて、兄(義久)と対面したのもこの富隈城でした。
(省略)
なお城内には、島津氏が氏神として崇拝した稲荷神社が祭られています。
この説明を読むと、あの有名な1600年関ヶ原の戦いの前後に島津義久が霧島市隼人にいて、あまり立派とは言えない城で、不本意な隠居生活を送っていたととれます。
今、2022年ですが、約400年前は戦国時代だったんですね…
島津義久がタイムスリップして今の霧島市を見たらどう思うのでしょうか?
富隈城跡から稲荷山公園へ
神社から稲荷山公園へ行ってみます。
階段の途中には、上から相撲場も見えました。
頂上はそんなに広くはありませんが、360度、霧島市を一望できます。
城山公園からの桜島も好きですが、稲荷山公園の頂上から眺める桜島も電波塔が見えて乙だと思います。
霧島市隼人の稲荷山公園
稲荷山公園の遊具は少し変わっていて、丘に沿って遊具が備え付けられているのもあります。
丘を登り頂上から下ると広い空間があり、遊具がさらにいっぱいあります。
つまり、例えるなら麦わら帽子のような造りで、展望できる頂上が頭を入れる場所のような感じです。
ここは、桜も約100本あるらしく、桜が咲くころには絶対きれいなところでしょうね!
花見行きたいな…
最後に…
いかがでしたか?
今回は、NHKのラジオ放送電波塔と富隈城跡、稲荷山公園の紹介でした。
とても歴史ある場所で、霧島市を一望でき、公園もある素敵な場所なので、これから花見の季節です!
是非、お弁当を持って遊びに行ってみてくださいね!
ではでは🌸
YouTubeでは、稲荷山公園の頂上がみれます↓
富隈城跡
鹿児島県霧島市隼人町住吉1879-4
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