080-9142-8357

歴史的に貴重な建物【大隅横川駅】平和とは何かを考えさせてくれる

どうも!

かごです。

 

今回は、前回書いた嘉例川駅と共に県内最古の木造駅舎「大隅横川駅」のレポートです。

鹿児島空港I.Cから約15分、県内最古の駅舎【嘉例川駅】へ行ってみた!

結論から書くと、この駅を通して戦争の怖さ悲しみを知り、そして今、平和である事に感謝したいと思える場所でした。

鹿児島県最古の木造駅舎の1つ「大隅横川駅」

明治36年(1903年)肥薩線の開通にあたり開設した鹿児島県最古の木造駅舎の1つである「大隅横川駅」

 

ホームの柱には、第二次世界大戦時の機銃掃射による貫通した爪跡が残っており、明治期の貴重な歴史的遺構であるとして平成18年10月18日に国の「登録有形文化財」に登録されています。

実際、中へ入ってみると漆喰と木のぬくもりを感じる懐かしい雰囲気の駅でした。

 

ここで手作りの物を販売しているお姉さま方に話を聞くと、2~3月はカフェもされるとの事。

 

無人駅と聞いていましたが、地元の方がこうやって話をしてくれると何だかホッとしますね…

 

大隅横川駅保存活用実行委員会という会もあるそうなので、Facebookもチェックしてみて下さい。

ホームの柱にある機銃掃射の跡

早速、ホームの方へ行き機銃掃射の跡を探しました。

最初どの柱かわかりませんでしたが、息子が遠足で行ったことがあるというので「ここだよ!」と教えてくれましたよ。

 

朝日新聞↓に書かれている戦争体験者の話を聞くと、駅舎の屋根がハチの巣と化していたとあるので、この機銃掃射の跡はごく一部なんですね…

 

「駅の近くに造っていた機関車整備工場の完成を待っていたんでしょう。できたと同時の空襲だった」

(中略)

駅の裏手の家々は焼け、友達が何かの破片で頬をえぐられた。

のちに聞いた話では、駅舎の屋根はハチの巣と化し、中から夏空がはっきり見えたという。

幼い頃、鹿児島市への買い物も、温泉旅行もここからだった。

国民学校に入学した年、構内からあふれるほどの人と出征兵士を見送った。

母の白い割烹着(かっぽうぎ)をつかみ、いつか自分も行くんだろう、と思いながら。

戦後、復員軍人を迎えたのも、「金の卵」たちが泣きながら就職列車に乗り込んだのも、この駅だった。

引用リンク 朝日新聞2011年8月2日

機関車整備工場の完成を待って空襲をしてきたのでは?

と、記事に書かれていましたが、地元のお姉さま方に話を聞くと、お米や食料を運ぶ駅だったので狙われた。

と言っていました。

 

一瞬、漫画キングダム単行本54巻、鄴城の食料の大半が燃えた事件を思い出しましたが、それだけアメリカ軍も必死だったんでしょうね…

 

ここから出征兵士を見送った場面を想像しただけでも胸が痛みます…

年1回、平和コンサートも実施されている

さらに、地元の方に話を伺うと、年1回こちらで平和コンサートも実施されているそうです。

残念ながら今年は7月に終わっていましたが、来年は行ってみたいですね。

2010年、8月10日発行の広報きりしまには戦争体験を載せた記事がありました。

第1回、第2回の平和コンサートで戦争について話をしたのは、駅近くに住む池田哲男さん。

戦時中、鹿児島市にあった鹿児島二中に通う学生で、戦争体験を次のように語ります。

 

「当時は、戦争中でも学校に行くことが当たり前で、通学中の列車が空襲にあい、その度に列車が止まり近くの山などに隠れていました。

隼人駅でも止まることが多く、近くに隠れていると真上を爆撃機が飛んで行き、第二国分基地に爆弾を落とす光景を何度も見ました。

ある日、学校で友人から横川が空襲にあっていたと聞かされ、 慌てて帰ってみると、大隅横川駅は穴だらけ。

幸いわが家は焼けていませんでしたが家族は避難して誰もいない、

家の中で家族を待っていると機銃掃射の音が、慌てて近くの防空壕に逃げ込むと3人の女性の方が身を寄せ合い爆撃機がいなくなるまで手を合わせて祈っていました。

あのころは毎日、命の危険を感じていました

 

時々、電車に乗ることがありますが、74年前は通学中に列車が空襲に遭っていたと考えただけでもゾッとします。

 

当時、穴だらけの大隅横川駅も今では数か所に跡が残るだけ。

しかしそこには、決して忘れることのできない過去があります。

池田さんはそのことを伝えることが大切だと言います。

 

「戦争で多くの方が亡くなり、多くの家が焼け、多くの人の人生が変わってしまいました。

あのときの恐怖、あのときの悲しみを子どもたちに味わわせたくない。

戦争がどれだけ悲惨で、平和がどれだけ尊いものなのかを、戦争体験者である私たちが次の世代に、そして未来の子どもたちに伝えていくことが平和への道しるべになると思います」

引用リンク 平成22年8月号№104広報きりしま

 

この広報きりしまによると霧島市は、昭和20年(1945年)国分と溝辺に特攻基地があり、427人の方が犠牲になったと書かれていました。

 

正直、大隅横川駅に来て色々調べるまではそれすら知りませんでしたし、特攻基地は知覧だけだと思っていました。

 

そして、横川で空襲にあった事も知りませんでした。

 

霧島市に住んで約15年…

 

戦後74年経ちますが、この駅に行ってよかったです。

まとめ

いかがでしたか?

今回は、戦争の爪痕を残す貴重な木造駅舎の1つ「大隅横川駅」の紹介でした。

九州自動車道横川I.Cから車で約5分の場所にありますので、是非、歴史的にも貴重な建物なので行ってみて下さい。

ではでは!

大隅横川駅

 

霧島市横川町中ノ39-1

駐車場あり(無料)

休憩所のある公園もあります

(遊具はなし)

鹿児島空港I.Cから約15分、県内最古の駅舎【嘉例川駅】へ行ってみた!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です